
予定を決めすぎたくない休日にこそ、まる一日の箱根はちょうどいい。新宿から片道およそ80分、フリーパスを一枚握れば、あとは山あいへ列車で運ばれるだけです。車窓に硫黄の谷、湖上の鳥居、湯けむり。絵に描いたような「やることリスト」が待っています。でも、その絵を静かに描き替える数字が、一つあるんです。箱根町の観光調査では、2023年の来訪者のうち日帰り客がおよそ79.8%、約1,951万人のうち約1,557万人にのぼりました。泊まる人は約20.2%だけ。つまり5人に4人が、同じ一日をなぞっているというわけです。だからこそ、日帰り客がいつ・どこへ流れるかを知れば、それがそのまま混雑の地図になります。
人出もすっかり戻りました。箱根は2024年に来訪者2,031万人を数え、6年ぶりに2,000万人の大台を超えています。だから本当の問いは「日帰りで行くべきか」ではありません。何百万人もの日帰り客が昼過ぎまでに同じ周回を終えようと動くなかで、どう先回りするか。核心は、そこにあります。
箱根は富士箱根伊豆国立公園のただなかにあって、この公園は2024年、外国人来訪者数で日本一に輝きました。その数、390万人。もともと厚い国内客の上に、海外からの層がぶ厚く積み上がっているわけです。ここでデータを覗くと、詰まりの正体が見えてきます。ネックは「場所」ではなく、一本道の区間をどれだけの人がさばけるか、なんです。登山鉄道もロープウェイも芦ノ湖の遊覧船も定員が決まっていて、午前半ばに着く日帰り客が、そこへ一斉に押し寄せます。
だから混雑は「べったり一定」ではなく「ぎゅっと集中」します。大涌谷と芦ノ湖の鳥居には午前遅くから午後の早い時間に人が溜まり、一日の両端ではすっと潮が引いていく。しわ寄せが集まるのは、天気しだいのロープウェイと、写真映えする湖畔。この二つこそ、波の「あと」ではなく「前」に押さえるのが正解です。
新宿からは、小田急ロマンスカーの特急が箱根湯本まで直通でおよそ80分、しかも全席指定です。効いてくるのは短縮される分数より、「座席が必ずある」という安心のほう。乗り継ぎを分刻みで組まなくても、早い列車にどっしり腰を落ち着けられます。日帰り客の波と競走するうえで、これがなにより大きいんです。
まず動くべきは、小田急のカウンターで箱根フリーパスを買うこと。2日間版が¥7,100で、新宿〜小田原の往復に、箱根の鉄道・バス・ロープウェイ・芦ノ湖の遊覧船まで乗り放題がついてきます。これは単なる割引券ではありません。全員がいっせいに動く日、区間ごとの切符を買うための行列、お金より時間を食うあの行列を、まるごと消してくれるんです。おまけに、みんなが素通りしがちな場所も静かに守備範囲。たとえば箱根ガラスの森美術館は登山バスで約20分、これもちゃんと対象に入っています。ロマンスカーの座席指定は片道おおよそ¥1,150〜1,200の追加で、こちらは予約して損はありません。
周回は、時計回りに。まずは登山鉄道で芸術と大涌谷へ上り、芦ノ湖と箱根湯本の湯は後半へ回します。混雑の数字も、ぴたりと同じ向きを指すんです。標高が高くて天気に敏感な区間、つまりロープウェイと富士山の眺めは、空気の澄んだ午前に、しかも観光バスより先に片づける。締めくくりは、低くて温かい場所で。反時計回りだと、ちょうどバスが着くタイミングで湖に飛び込むことになってしまいます。
しかも、その登りそのものが、もう体験なんです。箱根登山鉄道は日本最古の山岳鉄道で、3か所のスイッチバックを切り返しながら、箱根湯本から標高約750mの強羅までジグザグに駆け上がります。6月中旬から7月初旬には、線路沿いに約1万株のあじさいが咲きこぼれ、夜にはライトアップ列車も走る。6月の旅を選ぶ理由は、これだけで十分です。ロープウェイで着く大涌谷では、硫黄のにおいが谷いっぱいに立ちこめます。公式の「大涌谷くろたまご館」で、まずは黒たまごをひとつ。火山の湯で殻まで黒く染まった卵が、4個でおよそ¥500。地元では「一つ食べると7年寿命が延びる」と言い伝えられています。あとは晴れてさえいれば、富士山が景色を仕上げてくれますよ。
箱根の正直な一皿といえば、やっぱり蕎麦です。玄関口の湯本には、楽しみ方が二通りあります。箱根湯本駅のそば、1934年創業の「はつ花そば本店」は、水の代わりに自然薯(じねんじょ)と卵で蕎麦をつなぐ一軒。この土地を代表する「せいろそば」で、行列に並ぶだけの価値があります。もっと本格を、という日は、ミシュランの星を持つ「竹やぶ 箱根店」へ。挽きたての香りと澄んだつゆが評判の手打ちです。駅から5分の「湯葉丼 直吉」は、箱根の湧水で仕込んだ湯葉丼が看板。日帰り客の多くが素通りしてしまう、まぎれもない土地の名物ですよ。
芦ノ湖へ向かう旧東海道沿いの「甘酒茶屋」は、また別の一服です。築300年の茅葺きの茶屋を、山本家が13代にわたって守り、昔ながらの甘酒と力餅を出しています。湯気の立つ甘酒をすすれば、旅の疲れが芯からじんわりほどけていくよう。遊覧船や火山に近づくほど、食事はだんだん「やることリスト」に変わっていきます。だからこそ、道の途中のこの静かな一杯を、正直いちばん守りたいと思うんです。
海賊船は、誰が撮っても同じように写ります。箱根がとっておきを見せてくれるのは、定番コースからほんの少し外れた立ち寄り先。彫刻の森駅のそばに立つ箱根彫刻の森美術館は、1969年に生まれた日本初の野外美術館です。ロダン、ヘンリー・ムーア、ミロら120点超の彫刻が7万平方メートルの敷地に点在し、300点超を収めるピカソ館まであります(大人の入館料は約¥2,000)。芝を踏みしめて彫刻のあいだを歩けば、雨でも晴れでも成立する一日。寺の門よりずっと多くの人を、ふところ深く吸いこんでくれます。
絵はがき級の一枚がほしいなら、箱根神社(757年創建)の朱塗りの「平和の鳥居」を。芦ノ湖に浮かぶこの鳥居は、午後の半ばには長い撮影待ちができるので、早い時間か遅い時間に回れば列はすっと消えます。そして、すべてから1時間だけ離れたい気分の日は、湖畔の復元された箱根関所まで、杉並木の残る江戸時代の東海道を歩いてみては。木漏れ日と土の匂いのなかに、人混みのない、手で触れられる歴史。ここで箱根は「アトラクション」であることをやめて、ひとつの「土地」として立ちあらわれはじめます。
ここからは、少しひねくれた読み方です。箱根が「うまく捌かれている」ように感じさせるもの——約8割という日帰り客の比率と、その全員が同じ一本道を通り抜けること——は、じつは空いた時間帯を、とんでもなく贅沢なものに変えています。その静けさを奪い合う相手が、ほとんどいないからです。人の波は一気に高まって、しかも気味が悪いほど読めます。午前半ばにやってきて、三つ四つの名所にぎゅっと溜まる。ほんとうに、それだけなんです。
まだ仮説の域は出ませんが、話の筋はきれいに通ります。行ける場所の容量が決まっていて、人の流れがこれだけ足並みをそろえるとき、本当の「チケット」になるのは、どの名所を選ぶかより、いつ動くかのほう。早いロマンスカーに乗り、周回を時計回りに走り、昼の混雑が来る前に蕎麦をたぐる。杉並木や箱根湯本に戻っての温泉は、観光バスがなだれ込む時刻まで、そっと取っておきましょう。そうすれば、東京からのまっとうな箱根日帰りを、走りきったことになります。午後の客が行列に並ぶだけの周回を、こちらは涼しい顔で「見て」帰れるというわけです。
まる一日みておきましょう。ロマンスカーは新宿から片道およそ80分。そこから先は、登山鉄道、ロープウェイ、大涌谷、芦ノ湖、そして温泉と、周回そのものが残りの時間をたっぷり埋めていきます。早い列車で出れば、ぐるりと一周したうえで、帰りぎわにひと風呂浴びる余裕まで残りますよ。
定番の周回をするなら、ほぼ間違いなくあります。新宿発の2日間パスは¥7,100で、往復に登山鉄道・バス・ロープウェイ・芦ノ湖の遊覧船までセット。運賃の節約もさることながら、区間ごとの切符に並ぶ行列、混雑日にはお金より時間を食うあの行列を、まるごと省けるのが効きます。ロマンスカーの座席指定は片道約¥1,150〜1,200の追加ですよ。
平日の午前がねらい目です。日帰り客は箱根の来訪者の約8割を占め、そのほとんどが午前半ばに到着して、午前遅くから午後の早い時間に大涌谷や芦ノ湖の鳥居へ溜まります。早い列車で出発して、周回を時計回りに走れば、その波の先を気持ちよく行けますよ。
晴れた日なら、しっかり見えます。とりわけ大涌谷と芦ノ湖越しの眺めが格別。秋から冬の朝がいちばん確実で、夏は霞にまぎれがちです。標高の高い区間を早めにこなすほど空気が澄んで、出会えるチャンスも高まります。