
どこか遠くへ旅した気分になりたいのに、丸一日は空けられない。そんな週末にちょうどいいのが江の島です。新宿から片道およそ65分、指定席は約¥1,400。改札を抜ければ潮の香りが鼻をくすぐり、参道の先から焼きたての香ばしさが漂ってきます。
この島の日帰りは、たいてい「やることリスト」で語られます。神社をお参りして、洞窟をのぞいて、展望灯台に登って、シラス丼を食べて、暗くなる前に帰る。でも本当に効くのは、距離ではなく「どの時間帯に当たるか」なんです。江の島の一日を握るのは、二つの時計です。ひとつは漁の暦で、生シラスが揚がるのはおおむね3月11日から12月31日まで。しかも海が荒れれば、禁漁期でなくても船は出ません。もうひとつは光の時計、西向きの相模湾越しに富士山へ沈む夕日こそ、この島最大の見返りです。二つをそろえて読めば、島はゆったりした半日にちゃんと応えてくれますよ。読み違えれば、灰色の空の下で「茹でシラスだけ」の昼食に、往復1時間をかけたことに。問うべきは、行くかどうかではなく、いつ行くか、です。
江の島は、小さいのに人が多い。この二つがぶつかります。島を抱える藤沢市を訪れた人は、2019年に約1,929万人と過去最高を記録しました。牽引したのは江の島の通年イベントで、外国人だけでも80万人超と見られています。コロナ禍を経てもなお、2022年度には年間およそ1,700万人まで戻りました。その一部が一本の橋と一本の参道に流れ込めば、島名物のボトルネックが生まれます。弁財天仲見世通りのアプローチでは、有名店の行列が正午前から長く伸びることも珍しくありません。
数字を並べると、見方が少し変わります。ネックは島の広さではなく、遅い午前から午後半ばにかけて一本の回廊に人が集中すること。だから一日は、混雑に合わせて組み立てます。早く着くか、夕日まで残る。昼のピーク前に食べ、橋のたもとが最も混む時間には、静かな南岸の外周を歩く。それだけで、体感はまるで変わりますよ。
新宿から片瀬江ノ島までは、小田急ロマンスカーの特急が直通でおよそ65分。片道約¥1,400の指定席一本で着きます(運賃¥650に特急料金約¥750を足した額です)。この座席が肝心で、乗り換えがないぶん朝いちばんの快適な列車で出れば、日帰り客が固まる前に橋へ着けますよ。特急料金を浮かせたいなら、通常の小田急線が¥650、藤沢での乗り換えが要ります。
あちこち巡るつもりなら、江の島・鎌倉フリーパスが往復と江ノ電・地元路線の乗り放題をまとめてくれます。これが効くのは、江の島が海沿いに10分ほどの鎌倉と自然につながるから。江ノ電もまた、旅の一部なんです。鎌倉高校前駅(EN08)の海辺の踏切は、『SLAM DUNK』で一躍知られた、この路線でいちばん撮られる風景のひとつですよ。
江の島の正直な一皿はシラス、相模湾の小さな白魚です。旬の生シラスこそ、漁の暦を気にかける最大の理由。丼はおおむね¥1,000〜¥1,800ほどです。いちばん名の知れた専門店は、しらす問屋が営む弁財天仲見世通りの「とびっちょ」。売りは鮮度、代償は行列で、混む日には2時間近く並ぶこともあります。同じ魚を静かに、景色ごと味わいたいなら「魚見亭(うおみてい)」へ。島の反対側の崖の上にあり、湾を見下ろす屋外テラスで、潮風に吹かれながらシラスや海鮮をつつけます。行列の代わりに、ひと歩きを引き受ける形ですね。
名前で覚えておきたい店が、あと二つあります。三代続く「江之島 春夏(はるみ)」の看板は、地元の白魚とサザエを卵でとじてご飯にのせた『江之島丼』。旬を外した時期でも、ふっくらと食べごたえのある一皿です。そして初めての江の島に欠かせないのが、「あさひ本店」のたこせんべい。タコを丸ごとプレスして薄く焼き上げた巨大なせんべいで、焼ける音と香りが参道に立ちこめます。神社の参道近くに立つ、この島を代表するストリートスナックですよ。
島は登る地形で、その登りが一日の骨格になります。信仰の核は江島神社。海・財・芸能の女神、弁財天を祀る三社からなり、名高い江の島弁天は辺津宮(へつみや)に鎮まっています。上りはなかなか急で、有料の屋外エスカレーター「江の島エスカー」が、いちばんきつい区間を約4分で運んでくれる。脚は、外周の海岸のために取っておきたいですね。
頂きには、看板の眺めが待っています。高さ59.8mの展望塔「江の島シーキャンドル」、民間所有では日本最大の灯台です。それが、10,000平米のサムエル・コッキング苑にすっと立ちます。苑を拓いたのは、1882年に移り住んだイギリス人貿易商。デッキに出れば、富士山も三浦半島も大島も見渡せますよ。11月下旬からおよそ2月中旬〜下旬にかけては、苑内が『湘南の宝石』イルミネーションに変わり、日本有数の冬の光の祭典になります。1月はチューリップ畑も見どころです。
そして、駆け足の観光客がたいてい飛ばす区間が続きます。苑から海岸沿いに下ると、岩がちの稚児ヶ淵(ちごがふち)の磯を経て、島の南端、岩屋(いわや)洞窟へ。崖の下の海食洞で、第一岩屋には仏像と祠が並び、第二岩屋は伝説の龍を祀ります。実際にこの外れまで歩いてみると、人がようやく引くのはこの端なのだと気づきます。潮のしぶき、岩に響く波の轟き、そして、ほとんど誰もいない水平線。
ひとつ、逆さまの読み方を持っておくと得をします。江の島を混んでいると感じさせるもの、つまり何百万人もが一本の橋と一本の参道に流し込まれること。それがそのまま、いちばんいい時間を持て余させているんです。混雑は一定ではなく、時間に固まっています。人は遅い午前から午後半ばにかけて仲見世のアプローチに溜まり、一日の端と外周では、潮が引くように消えていきます。
ここから先はまだ仮説ですが、理屈ははっきりしています。需要がこれほど尖っていて、しかも読めるなら、本当のチケットは「時間帯」です。生シラスに賭ける前に、漁期と海の様子をひと確認。早いロマンスカーに乗るか、夕日まで粘る。昼のピーク前に食べ、参道が最も混む時間には岩屋洞窟を取っておく。それができれば、真昼の人波が決してたどり着かない島を、ひとり静かに歩いたことになりますよ。
半日あれば、島はしっかり回れます。江島神社、シーキャンドル、岩屋洞窟、そしてシラスの昼食まで。ロマンスカーなら片道わずか約65分です。まる一日あるなら、江ノ電で10分の鎌倉と合わせるのもいいですし、午後を西岸の夕日に寄せて、富士山へ沈む景色を軸にしても楽しめますよ。
あります。ただ、時間についてだけ正直な但し書きを一つ。橋のたもとの通りは、遅い午前から午後半ばにかけて本当に混みます。生シラスも季節もの(おおむね3〜12月、天候次第)です。早めに着くか夕日まで残って、静かな外周の海岸を歩けば、同じ島がぐっと穏やかに感じられますよ。
平日の早い時間、あるいは夕方から夕日にかけてに絞るのがおすすめです。人が弁財天仲見世通りのアプローチに溜まるのは、だいたい11時から15時ごろ。冬に訪ねるなら、『湘南の宝石』イルミネーション(11月下旬から2月中旬〜下旬)が目玉で、日が暮れてからがいちばん混みます。
約¥3,500を見ておけば、ロマンスカーの往復(特急料金込みで片道約¥1,400)、シラス丼(約¥1,000〜1,800)、シーキャンドルと洞窟の入場まで、おおむねまかなえます。節約したいなら通常の小田急線(¥650)を使うか、江ノ電にも乗るなら江の島・鎌倉フリーパスを買っておくと安心ですよ。