
次の休みは、澄んだ空気の中をただ歩きたい。そんな秋の気分に日光はまっすぐ応えてくれます。浅草から片道およそ1時間50分、特急料金込みで¥2,700ほど、座席に身をあずければ、谷の門前町から標高約1,400メートルの戦場ヶ原まで、空へのぼる一続きの階段がひらけます。冷たい風にカラマツの香りがまじるその山は、いっせいには色づきません——上の段から一段ずつ、約6週間かけて坂を下りてくるんです。
混雑ぶりは数字にも表れます。コロナ禍前の日光には年間およそ10万人の外国人が訪れ、東照宮は2020年のトリップアドバイザー『外国人に人気の観光地』で7位に選ばれました。ただ、旅の役に立つのはもっと地味な数字のほうです。その多くは東京からの日帰りで、駅と社寺の周りにぎゅっと固まり、そこから上へはめったに登りません。同じ『日光の秋』という名前で、じつは二つの別々の旅が動いているんですね。
ひと言『秋』が覆い隠しているのは、この時間差です。色はいちばん高い所からともり、坂を下るように里へ進みます。まず先陣を切るのは、ラムサール条約に登録された戦場ヶ原の湿原。約400ヘクタールの草原に350種以上の植物が息づき、9月下旬にはもう黄金色にけぶりはじめます。カラマツやカエデが10月を通してゆっくりピークへ。続いて中禅寺湖と男体山の斜面が10月中旬から下旬に色を変え、48のカーブを刻むいろは坂が燃えるのは10月も終わり頃です。その波がようやく谷底の東照宮周辺に届くのは、11月上旬になってから。
この順番がのみこめると、計画の立て方そのものが変わります。日光の紅葉が異例に長い約6週間も続くのは、裏を返せば、日帰りの一日がまるごと紅葉を素通りしかねない理由でもあるんです。11月上旬の社寺のピークをねらえば山はもう裸、10月上旬の湿原をねらえば町はまだ緑のまま。だから、みんなにとっての『ベストな週末』はどこにもありません。あるのは、自分が実際に立ちたい標高にとってのベストな一日だけ。次の休み、まずは行きたい高さを決めてみてはいかがでしょう。
浅草から東武の特急スペーシアきぬ・けごん(新型のスペーシアXでもOK)が、東武日光駅まで乗り換えなしで走ります。所要は約1時間50分、特急料金込みでおよそ¥2,700、座席は指定です。ここで覚えておきたいのが本数のこと。全区間を走る便は平日でおよそ6本、週末でも7本ほどしかありません。つまりボトルネックは線路ではなく、座席のほうなんです。行きも帰りも、東京を出る前に予約を押さえておきましょう。紅葉のピークには、夕方の下り列車が、せっかく避けてきた日帰り客でぎゅうぎゅうに埋まってしまいますから。
現地での正解は、じつは人の流れに逆らう向きにあります。多くの人はまず社寺を巡り、それから山を考える。けれど気づいた頃には、上へ向かう唯一の道であるいろは坂が、悪名高い数時間の紅葉渋滞で固まっているんです。だから山が本当の目的なら、いっそ順番をひっくり返してしまいましょう。朝いちばんのバスでいろは坂を駆け上がり、明智平ロープウェイ(所要約3分、往復およそ¥750、通常9時〜16時30分、木曜休)で標高1,373メートルの展望台へ。眼下には、華厳の滝と中禅寺湖を切り取ったあの一枚が広がります。日帰り客がようやく坂を上り始める頃、こちらはもう下っている。そんな朝がねらえますよ。
日光を代表する一皿は、カレンダーを気にせず通用します。ゆば、地元の精進料理が名物へと育てあげた、繊細な豆腐の膜です。駅にも社寺にも近い老舗、元祖日光ゆば料理 恵比寿家は、このゆばを日光の看板に押し上げた立役者とされ、湯気の立つ小鉢を会席の多皿仕立てでゆっくり味わわせてくれます。もう少し肩の力を抜きたいなら、ふだん懐石 和み茶屋へ。月替わりのゆば懐石を気軽な価格で出していて、地元の味に触れる最初の一歩として、いちばん入りやすい一軒です。
中禅寺湖のほとりでは、鶴屋の湯波が、揚げ湯波やゆば汁といった定番に、食べごたえのあるゆばカレーと湖の眺めを添えてくれます。標高のぶんだけ冷え込む10月の一日、湯気の立つ一皿で体を温めるにはうってつけですよ。ゆばの気分でない日は、家族で切り盛りする餃子のうめちゃんが地元の人気者。名物の大ぶりな『うめちゃん』餃子に、両方のいいとこ取りをした日光ゆば餃子まで、香ばしい湯気ごと頬張れます。締めの一軒に、そっと加えてみてはいかがでしょう。
この標高の階段がいちばん報われるのが、奥日光です。ここは週ごとに表情を変えます。戦場ヶ原の木道は、開けた湿原をまっすぐ横切る全長約6キロの平坦なループ。ぐるりと2時間半から3時間、板の軋む音だけを連れて歩けます。9月下旬なら草はもう黄金色、10月に入ればカラマツとカエデが道の両側を縁どります。竜頭ノ滝から湯滝へと続く川沿いは、日光屈指の紅葉区間。滝を正面に望む竜頭之茶屋が、ぽつりと湯気を上げています。流れ落ちる水を前にすする温かい一杯、それが紅葉と同じくらいのお目当てになるんですよ。
そこから少し下れば、中禅寺湖の遊覧船。男体山の溶岩がせき止めて生まれた、日本一標高の高い自然湖です。華厳の滝から歩いておよそ10分の桟橋から乗り込めば、色づいた斜面を水の上からまるごと見渡せます。どれも、日帰り客の定番の社寺巡りコースには入っていません。ポストカードの一枚ではなく標高を軸に旅を組む人にこそ、ここはそっと応えてくれるはずです。
日光観光のベストシーズンについて、ひとつだけ天邪鬼な読みを置いておきます。社寺が『思ったより』と感じられてしまう理由、つまり東照宮だけ撮って登らずに帰る日帰り客の偏りこそ、じつは日光の上半分がいちばんの見頃にこっそり人手不足になる理由でもあるんです。11月上旬、門前町が人でごった返しているまさにその頃、高みの湿原はもう黄金の一週間を終えて、ほとんど無人。人が集まるのは低くて遅い場所、景色が燃えるのは高くて早い場所。このすれ違いが、日光の秋の正体なのかもしれません。
まだ確かめきってはいませんが、この理屈はなかなか崩せません。まずは自分が本当に立ちたい標高を選び、そこからカレンダーを逆にたどる。湿原と湖なら9月下旬から10月上旬、いろは坂なら10月下旬、社寺そのものが目的の日だけ11月上旬です。あとは特急を早めに予約して、平日をねらい、みんながまだ坂を上っている時間にこちらは下りはじめている——それくらい早起きできれば、日光はまるごと味方になってくれますよ。
答えは秋、ただし『どの週か』は立つ標高で変わります。紅葉は約6週間かけて坂を下るように進むんです。戦場ヶ原の湿原は9月下旬から、中禅寺湖といろは坂は10月中旬から下旬、東照宮の門前町は11月上旬。見たい高さをまず決めて、そこに旅程を合わせましょう。ねらうなら、平日の早い時間が正解ですよ。
いっせいに色づくのではなく、山を下るように進みます。いちばん高い戦場ヶ原が9月下旬から、中禅寺湖といろは坂は10月中旬から下旬にピーク、中心部の社寺エリアが11月上旬に続くんです。この幅こそ、シーズンが約6週間も続く理由。そして同時に、日帰りの一日でピークを取りこぼしかねない理由でもあります。だからこそ、行きたい標高から逆算するのがおすすめですよ。
中禅寺湖へ上がる道はここ一本きり。紅葉ピークの日には何時間も詰まります。コツは、できるだけ早く、朝いちばんに上ってしまうこと。そして日帰り客の波がまだ登ってくる午後の半ば前に、さっさと下りはじめることです。いつもの順番をひっくり返して、社寺より先に山を回る。それが、いちばんお金のかからない解決策ですよ。
はい、高いところをねらうなら。奥日光は標高およそ1,400メートル、東京が蒸し暑い日でもひんやり涼しく、滝は水量たっぷり、戦場ヶ原の木道がいちばん緑濃く輝く季節です。秋以外に足を運ぶ、いちばん強い理由になりますよ。ただし紅葉だけは期待しないこと。そこは秋のお楽しみに取っておきましょう。