
どこか近くで、旅した実感だけはしっかり持ち帰りたい。そんな週末に、川越はちょうどいい距離にあります。池袋から東武東上線で乗り換えなし、片道は30分弱の490円。改札を抜ければ蔵の街の甘辛い匂いがもう漂ってくる——ただ、その一日を左右するのは速さではなく、3つある駅のどれで降りるかなんです。
川越はもう、ふらりと見つけた静かな町ではありません。市の発表では2022年の観光客はおよそ550万9,000人、うち海外からが約9万9,000人。平年でも500万〜700万人が集まります。回復の勢いも急で、2021年は約392万人とコロナ前のおよそ半分でしたから、いま足を向けようとしているのは右肩上がりの急カーブの真上、というわけです。
その人出が「どこ」に「いつ」集まるかを見ると、絵がくっきりしてきます。10月の川越まつり(山車の祭り)は2023年の週末だけで約56万1,000人、2024年は73万人を超えました。夏の氷川神社・風鈴シーズンも、会期を通じて約10万人を上乗せします。市はいまスマートフォンのGPSデータで、一番街の蔵造りの通り・氷川神社・喜多院・伊佐沼という4つのゾーンごとに来訪者を数えているほど。裏を返せば、それだけ混雑が一点に集まるということ。だから「たった30分だから」は「いつ行ってもいい」を意味しません。電車がスムーズすぎるせいで、詰まるのは線路ではないんです。祭りの土曜、午後1時の一番街。あの一本の蔵の通りこそが、正真正銘のボトルネックです。
数字が推すのは、池袋発の東武東上線です。最速でいちばん安く、快速急行なら各駅停車を飛ばすから旅がだれません。SuicaやPASMOでタッチすれば済むので、この運賃で券売機に並ぶ理由もなし。ただし路線ごとに降り立つ場所が違うのがミソです。東武とJRは川越駅という賑やかなハブを共有していますが、ここは旧市街の南へ徒歩10〜15分。西武の本川越駅は新宿からだと少し遅く少し高い、それでも蔵造りの街並みには目に見えて近いんです。速さを取るか、歩数を減らすか。そのささやかな差をどう選ぶか、という話。
きっぷの話を正直にすると、川越だけが目的ならたいていの鉄道パスは元が取れません。基本運賃がそもそも安すぎるからです。唯一きちんと働くのが東武「川越割引きっぷ」。池袋からの往復が約710円で、片道490円と比べれば往復するだけで先に得をします。しかも割引バリエーションは地元バスの乗車をセットにしていて、静かに効いてくるのがここ。西武側に同じ強みはないので、こちらは素直に片道運賃で乗ればいいんです。
電車を降りてからひと働きするのが、川越駅発のレトロなループバスです。旧市街はどちらの駅にもなく、駅と駅の「あいだ」にあります。だから東武・JR側からは、あの徒歩15分か、ループバスで蔵造りの通りの入口までのショートホップか。7月の35度の午後や、10月の雨のなかなら、あの小さな運賃はぜいたくではありません。爽やかに一日を始めるか、汗だくで始めるかの分かれ道。個人的には、この旅でいちばん過小評価されている200円だと思っています。
実際にこの区間を歩いてみると、たった15分でも夏場は体感がまるで違います。
このルートで着けば、そこはもう「うなぎの国」。だからアクセスと食は地続きの話です。炭火で香ばしく焼いてご飯にのせた鰻重(うなじゅう)は川越の看板で、江戸時代から200年近く続く老舗が守ってきました。いちばん名高い「うなぎ 小川菊(おがきく)」は1807年の創業で、蔵造りの通りのすぐそば。ループバスで旧市街へ直行したなら、自然なランチ先はここです。電車を降りた瞬間に食べたい派には、川越駅から徒歩約3分の「うなぎの成瀬」川越店を。新鮮な国産うなぎを、寄り道なしのモダンな店内でどうぞ。
もう少し歩けば、さらに深い一皿に出会えます。本川越駅から約16分の「うなっぱち(鰻正/うなしょう)」は、うなぎとご飯を竹のせいろで一緒に蒸す「せいろ蒸し」を、1910年代の長屋建築で出す一軒。建物だけでも歩く値打ちがあります。「林屋(はやしや)」は、漆の重箱に蒲焼をおさめた地元の定番ランチで、町でも屈指と評判。腰を据える気分でない日は、蔵の街のそばの「菓子屋横丁」がうってつけです。つまみ歩きのために生まれたような路地で、地元の偏愛はなんといってもサツマイモ。芋恋(いもこい)に、揚げたてのさつまいもチップス、芋のソフトクリームまで。食事はうなぎ、見どころのあいだの散歩は横丁で——そんな配分がちょうどいいはずです。
ほぼ全員が同じ一番街の一本道へ吸い込まれていく。だからこそ、その道をひと筋外れる動きが報われます。まず外せないのが、川越でいちばん大切な寺・喜多院。江戸城から現存する唯一の建物群を今に伝え、三代将軍・徳川家光ゆかりの部屋も残っています。その裏手に控えるのが五百羅漢。ひとつずつ違う表情に彫られた540体の石の仏弟子が並びます。似た顔を探しながらこの群像をゆっくり歩く20分は、数本先の通りの土産物の行列より、よほど豊かな時間のはず。
時刻を合わせれば、町はもっと見せてくれます。川越の象徴、木造の鐘つき堂・時の鐘は、1893年の大火のあと翌1894年に建て直された姿。いまも一日4回、6時・12時・15時・18時に時を告げます。正午の少し前に着けば、絵葉書には写せないものを耳で聴けますよ。季節の暦もきれいに分かれています。7月上旬からおおよそ9月中旬まで、1,500年の歴史をもつ縁結びの氷川神社が、縁むすび風鈴の祭りとして2,000個を超える江戸風鈴を「風鈴回廊」に吊るす。色と、絶え間ない柔らかな音に満ちる期間です。2014年の開始からいまでは、年におよそ10万人が訪れます。そして10月の第3土曜・日曜には、絢爛な木造の山車が蔵の通りを練り歩く川越まつり。ユネスコ無形文化遺産にして、一年で最大の人出です。何でもない一日なら、着物を借りて蔵の街・時の鐘・菓子屋横丁を歩く。それが、電車の時刻表では決して売ってくれない「小江戸」の時間です。
最後に、少し天邪鬼な読み方を。川越の観光は、池袋からの30分・490円という電車に形づくられています。日帰り客を生む装置ではあっても、泊まり客を生む装置ではない。市がいまGPSで追う祭り週末の大渋滞も、突き詰めれば、便利すぎるアクセスが自ら呼び込んだ結果とも言えます。まだ仮説ですが、そう考えると、いちばん効く一手は路線でもきっぷでもなく、時計の針。10時までに着けば、午後1時の人波と同じ蔵の通りを歩き、同じ鐘を聴き、同じうなぎを味わえます。ただし混雑は抜きで。詰まる場所は、はじめから電車ではなかったのですから。早く着くこと、それだけが、500万という数字の裏にある「ほとんどの人が見ていない川越」を手にする方法なんです。
池袋から東武東上線の快速急行で川越駅まで直通、約27〜30分・約490円、乗り換えなしが基本です。西武新宿からは西武新宿線で本川越駅まで約57分・約520円、本川越は旧市街にいちばん近い駅。川越駅からは蔵造りの通りまで徒歩10〜15分、またはループバスでひと駅ぶんです。
池袋から東武東上線で片道約490円、ICカードでタッチするだけ。東武「川越割引きっぷ」は往復で約710円と、片道×2よりすでにお得で、地元バスの乗車もセットにできます。唯一きちんと元が取れるきっぷ、と言っていいはず。新宿から西武だと片道約520円で、こちらに同等のパスの強みはありません。
西武新宿線の本川越駅が、蔵造りの街並みに最も近い駅です。東武とJRが共有する川越駅は東京から速くて安いぶん、旧市街の南へ徒歩10〜15分。歩きを省きたいなら、そこからレトロなループバスに乗ってみては。
ねらい目は、10時までの到着と、できれば平日。川越は年におよそ500万〜700万人を集め、その人出はぐっと一点に寄ります。10月の川越まつりは2024年の週末だけで73万人超、7〜9月の風鈴シーズンも約10万人を上積み。祭りは素晴らしい、けれど大混雑です。蔵の通りを静かに歩きたいなら、ふつうの平日の早い時間にどうぞ。