
遠くへ旅した気分にはなりたいけれど、長距離の疲れまでは持ち帰りたくない日。そんな日にちょうどいいのが秩父です。池袋から特急「ラビュー」1本、乗り換えなしで西武秩父まで約77〜80分、特急料金を足してもおよそ1,500円。飯能を過ぎて列車が山へ登り出すと、異様に大きな窓いっぱいに緑が迫ってきます。これだけ交通が整っているからこそ、ほんとうに迷うのはルートではなく、座席を予約したか、そして「どの日」に向かうか、なんです。
秩父の一年は、いくつかの鋭い山に気持ちが集まります。まずは12月2日と3日の秩父夜祭。2016年12月にユネスコ無形文化遺産へ登録され、日本三大曳山祭のひとつに数えられるこの夜は、闇を裂くように6基の屋台が団子坂を曳き上げられていきます。頭上ではじけるのは約4,800発の花火。集まる人は20万人を超え、二日間の延べでは約28万人という数え方もあるほどです。この規模の町にとっては、一年分の人出がまるっと48時間へ凝縮されるようなものなんです。
春は、もう少しゆるやかな稜線で同じことが起こります。羊山公園の芝桜の丘は、関東最大級の植栽面積を誇る一面のピンク。その広さは約17,600平方メートル。植えられた芝桜は9種およそ40万株にのぼります。見頃は4月中旬から5月初旬、足元がまるごと染まる季節です。しかもこの丘、西武秩父駅から徒歩20分。つまり直通列車が運んでくれるまさにその駅の目の前なんです。一緒に乗ってきた人波が、そのまま隣を歩く人波に変わるわけです。ここで計画の理屈がひっくり返ります。列車に摩擦がないぶん、ピーク時にいちばん足りなくなるのはレールではなく、その上の指定席のほう。ラビューは芝桜のシーズンにあっさり売り切れます。だから心配すべきは移動ではなく、その予約のほうなんです。
この旅の背骨になるのがラビューです。直通、指定席、そして車両そのものがこの区間のために設計されている——窓が驚くほど大きく、飯能を過ぎて山へ分け入る道のりでは、それがそのままごちそうになります。ここは迷わず予約しておきましょう。お財布にやさしい代わりの手もあります。西武の各駅停車に急行を組み合わせ、飯能で乗り換える方法で、約710円の特急料金が浮くかわりに20分ほど余計にかかり、席は自由席。平日のオフシーズンなら、これはこれで賢い選択です。ただし春や祭りの週末は話が別。自由席は埋まり、山を登るあいだじゅう立ちっぱなし、なんてことにもなりかねません。
きっぷは、得と決めつける前に細かい条件まで目を通してください。西武「1 Day Pass + Nagatoro」は外国パスポート保持者向けで約1,500円、西武線と秩父鉄道をまるごとカバーします。同じ日に長瀞まで足を延ばすつもりなら、これは本当に頼もしい一枚。ただしラビューの特急料金は、あえて対象外にされています。つまりきっぷと指定席は別々のふたつの判断で、春の旅人の多くは結局その両方を欲しがるわけです。一往復するだけの素直な移動なら、ICカードで基本運賃をタッチして、特急券を別に買えば、それで足ります。
このルートなら、秩父を代表するふたつの名物まで歩いてすぐ。アクセスと昼食が、ほとんど同じ用事になってしまいます。地元が本気で愛しているのはわらじカツ丼。わらじの形に揚げた分厚いカツが、丼の縁からはみ出すほど大きい一皿です。秩父駅から徒歩約10分の安田屋は、秩父版わらじカツ丼の発祥として広く知られる一軒。歴史ごとこの味を頬張りたいなら、迷わずここへ。地元の定番のもう半分が豚みそ丼です。自家製のみそだれに漬けた豚肉を炭火であぶり、湯気ごとご飯にのせた一杯。「豚みそ丼本舗 野さか」は駅から約3分、ほぼこれ一本で勝負しています。列車を降りて腹ぺこなら、鼻が先に気づいて足がそちらへ向くはずですよ。
料理を景色ごと味わいたいなら、三峰への登りを軸に組み立てるのがおすすめです。三峯神社の近くにある大島屋は、創業約140年。名物の巨大なわらじカツ丼を、手打ちのくるみそばと並べて出してくれます。晴れた日はためらわずテラス席へ。昼食がそのまま、登ってきた甲斐のある眺めに早変わりします。そのくるみもまた、町なかで探す価値のある秩父の静かな名物なんです。秩父駅から徒歩約12分の「和味(わへい)そば」は麺を手打ちし、香ばしく濃厚なくるみのつけだれで味わわせてくれます。駅前ではカツ、山の上ではそば、くるみはどちらでも。そんなふうに食べ分けてみては。
直通列車が役目を終えたあとの秩父は、そこから枝分かれしていく旅にこそ、いちばん報いてくれます。たとえばSLパレオエクスプレス。車齢80年の蒸気機関車が、秩父鉄道を熊谷から三峰口まで、荒川沿いに約56.8キロメートルを走ります。所要はおよそ160分、運転は主に週末の予約制。移動手段としては誰も選ばないほど遅く、その遅さこそが狙いです。白い蒸気、光る川、急がない車輪の音。その全部が体験であって、目的地へのただの手段ではありません。長瀞まで下れば、伝統のライン下りの木造船が荒川渓谷を約3キロメートル・20分かけてくだり、平らな岩畳の岩棚をかすめていきます。運航は3月初旬から12月初旬まで。渓谷全体には年間およそ200万人が訪れ、川下りだけでも約20万人。町だけでなく渓谷そのものもまた、ちゃんと目的地なんだと思い出させてくれます。
さらに上へ登ると、場所の気配そのものが変わります。三峯神社は標高1,102メートル。しばしば霧に半分ほど飲み込まれ、樹齢800年の木立に囲まれ、そして珍しいことに狼を祀っています。狐でも鹿でもなく、狼のお守りや狼をかたどった土産が並ぶのです。もっと不思議なものに会いたいなら、秩父札所28番の橋立鍾乳洞へ。石灰岩を約140メートルの深さで貫き、頭上から鍾乳石や石柱が垂れ下がっています。どれも「何かへ行く途中」には転がっていません。それぞれが意図して足を運ぶ寄り道だからこそ、駅前の昼食客の波よりずっと静かなままでいられるんです。
最後に、ひとつ逆張りの読みを。秩父のアクセスはあまりに整いすぎています。池袋から80分、運賃1,500円。しかも列車はたった1本。だから町がいちばん混む瞬間は、ルートのせいではなく、まるごとカレンダー由来なんです。夜祭の20万人超も、芝桜のピークも、鉄道が運びきれずに膨らむ群衆ではありません。鉄道が効率よく、一気に、同じ数本の通りと同じひとつの丘へ届けてしまう群衆のほう。まだ仮説の段階ですが、いちばん効く判断は路線でもきっぷでもなく、日付だと思います。春と12月のピークを外したふつうの平日に来れば、同じ直通列車も、同じわらじカツ丼も、三峰へ向かう道の同じ霧も、行列だけ抜きで手に入ります。移動はそもそも、はじめから制約ではなかったのですから。日付さえうまく選べば、あの手軽な列車は、祭りの人数表では決して描ききれない秩父を、まるごと手渡してくれるはずです。
西武池袋線の特急「ラビュー」なら、池袋から西武秩父まで直通で行けます。所要は約77〜80分、特急料金を含めておよそ1,500円、乗り換えはありません。特急料金を節約したいなら、西武の各駅停車に急行を組み合わせ、飯能で乗り換える方法も。自由席で約100分かかります。西武秩父駅からは町の中心部も羊山公園も徒歩圏内ですよ。
池袋からのラビューは片道おおよそ1,500円。内訳は基本運賃が約790円、特急料金が約710円です。特急料金で指定席が確保でき、これは十分に払う価値があります。ラビューは芝桜のシーズンや祭りの週末に売り切れるので、春と12月初旬は早めの予約が安心。平日やオフシーズンなら、約100分の各駅停車+急行という特急料金なしのルートで、うまく節約できます。
その日の動き方しだいです。西武「1 Day Pass + Nagatoro」は外国パスポート保持者向けで約1,500円、西武線と秩父鉄道をカバーするので、長瀞渓谷まで足を延ばすなら元が取れます。ただしラビューの特急料金は対象外なので、そこは別に購入を。寄り道なしで直通を一往復するだけなら、ICカードに特急券を足すほうがシンプルですよ。
静かに過ごしたいなら、ふたつの大きなピークを外しましょう。12月2日・3日の秩父夜祭は20万人超を集め、羊山の芝桜は4月中旬から5月初旬に見頃を迎えます。どちらも直通列車も通りも人で埋まります。その時期さえ外したふつうの平日なら、同じ手軽なアクセスでぐっと人は少なめ。そして春と祭りの時期だけは、何があってもラビューを予約しておいてくださいね。